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Channel: 「カラマツの下の花畑」・・・・♪
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凧揚げ  〜97歳のumeさんが子供の頃の話です〜♪

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凧と父 


凧は子どもの揚げて遊ぶものと思っていたのに、私の子供の頃はいい大人が大きな凧を揚げて楽しんだもののようでした。
厚い和紙を何十枚となく貼りあわせて、それぞれに達磨大師のひげむじゃな顔や龍という字を紙面一杯に描いて絵具を塗ったお手製の大凧を作り、競って田圃で揚げて楽しんでいました。
カボチャの蔓を薄く削って凧の上に付けると、それがまたすばらしい微妙な音を出して鳴る(ウナル)のです。
鬼ザル一杯の細い麻縄は、凧を揚げるための綱で、父は私の学校から帰るのを待っていては、その鬼ザルの綱を持たせて浅間寄りの田圃へ良く出かけたものでした。
畳二畳ちかくもある大凧なので、特に風のある寒い日を選んだようです。
私のいない時は、母が時々お供をいいつかったらしく、よくこぼして私に話してくれたものでした。
今、思えば、六、七十年前は一面の田圃だった所は、現在は家が建ち並ぶ住宅地で、電線やらテレビアンテナが林立しています。子どもの小さな凧さえ揚げる余地もないほどで、昔の面影の一つだに留めていないのは、当たり前のことでしょう。

日向吉次郎先生は、明治の頃からか、江戸から流れて小諸に移り住んだ、謡曲の大家と聞きました。その先生の一番弟子だった父の許へは、冬になると一里(約4キロメートル)も二里近くも遠い所から謡曲を習いに来る人達が毎晩のように、五人、六人と組になって来たことを覚えています。
「先生は、昼間は凧をウナらせて、夜は自分でウナって(謡曲をうたって)いなさる」などと話題にしたものでした。
とにかく、父の思い出は、今になって思えば私の一番尊敬に値する人でもあり、男子の理想像でもありました。 
                                 
                                                                 平成10年・ume記


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